「できることは、何でもやる」という精神

先日、亀田総合病院 名誉理事長である亀田俊忠先生のご講演を聴く機会があった。

学生時代から千葉にいながら、僕自身は一度も亀田総合病院に行ったことがなく、亀田病院の経営陣の先生方のお話しを聴くのも初めてであった。

もちろん有名な病院であり、僕の周りにも、亀田総合病院で働いたことがあるドクターは何人もいる。

地方病院には珍しく、斬新なアイデアを取り入れて、様々な腕利きのドクター達を集めていると言うことを聞いたことはあるが、実際に経営陣がどの様に考え、これまでどの様な経営されてきたのかは全然知らなかった。

 

そんな中で、幸いなことに今回、亀田総合病院の過去・現在・未来についてお話しをされた。

聴いていて驚いたことは、日本初のようなことが多々あったことである。この日本の中で、初めてのことをやろうとした時に「出る杭は打たれる」ことは、誰でも重々承知している。だからこそ、自分から始めるとアクションを起こそうとする人は、実際にはなかなかいないのが世の常である。

しかし、亀田先生等はそういったことを驚くほど恐れずに、やった方がよいと考えたことについては、周りの人にどれだけ馬鹿にされようとも、やり始めてきた歴史がある。そして、やはり必ず抵抗勢力に否定され続けるわけだが、そこでも怯まずに「できることは、何でもやる」という精神で、その難しい局面を何回も乗り越えてこられてきた。その気迫というものは、本当に凄まじいものを感じる。

 

しかし、ご講演をされている亀田俊忠先生を見ていると、どちらかと言うと気弱そうで、言葉を慎重に選ぶ方で、どこにそんな不屈の魂を持っておられるのか、不思議なくらいであった。

 

ただ、民間病院で初めて臨床研修医が研修できるようにしてきたり、当時のアメリカの最先端の医療技術を持っていた有名な病院をモデルに、オーシャンビューで患者さんの癒しに着目した病院やクリニックを、アメリカのコンサルタントに高額にもかかわらずお願いして建設したり、電子カルテをいち早く導入したりと、今では当たり前とされていることを、当たり前ではない時代に、採算度外視の状況でも率先して導入されてこられてきた。

 

そこで、亀田先生が仰っていたことは、まず最初に自分が思い描いていることのマスタープランを立てて、そこからその使命やヴィジョンを示し、これらを実現していくために、結果的には10年以上の年月をかけて実現していったとのこと。この先見の明と揺るがない信念は、本当に見習わなければいけないと感じた。

 

そして、今後は、地元の鴨川市とコラボレーションして、山間部のいわゆる僻地な地域に、小規模ではあるけれども入院施設も併設する家庭医・プライマリケアを実現していこうと考えているとのこと。家庭医は往診などを手厚くしてくれるが、こういった入院施設があれば、より手厚く、幅広いケアが行えることが考えられる。「これが、世界にまだない、日本流の理想的なモデルになっていくのでは」と仰っていたのが、非常に印象的であった。

それだけではなく、オンライン診療もできるようにし、さらに医療配達も行えるようにすることで、症状の安定している患者さんやその家族が通院等での負担を減らすことができ、かつ、医師の働き方改革につながっていくと考えられる。

そしてさらに、予防医療やポピュレーションアプローチも組み入れることによって、より地域の健康増進にも繋げようとしているとのこと。

 

今までは、病床数も大きな拠点病院が中心であったが、令和の時代は、上記で示したような「micro Hospital型」の医療機関群が、その時々のニーズに合わせながら細やかに時代に合わせながらモデルチェンジしていき、その地域の発展に柔軟に対応していくことを想定されているとのこと。

まさしく、地域医療で活躍されてきたドクターだからこその発想だと感じた。

 

少人数の医療スタッフで、柔軟に対応しながら、不足している部分については遠隔診療等で補っていく。そして、緊急時には、地域の大きな拠点病院に搬送することもできるようにしておけば、多くの地域で、これからも安心して暮らしていける人達が増えていくのではないかと思う。