「読書という荒野」を読んで 

「読書という荒野」(見城徹 著;幻冬舎)を読んでみた。ご存知の通り、幻冬舎社長自らが執筆した本である。見た目も厳つい印象があり、本のタイトルも荒々しい。そこから、それなりに気合の入った内容なのだろうなとは、誰しも思うであろうが、内容はその予想以上に「殺気」と言えるほどの迫力あるものであった。

 

本の表紙裏にも「読書の量が人生を決める。本を貪り読んで苦しい現実を切り拓け。苦しくなければ読書じゃない!」と、昭和の青春マンガ顔負けの気合の入り方である。

ただ、どうして著者がここまで読書、出版に対して心血を注いできたのか、それをカミングアウトするために、第1章では、自分の半生を振り返り、しかも、如何に自分が弱かったかが、実父との確執やいじめにあっていたことも含めて、赤裸々に書かれている。

見城氏は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の生まれ。先日、おなじ清水市出身の「ちびまる子ちゃん」の作者であるさくらももこ氏の本を読んだばかりであったので、この超ハードボイルドと超ゆるキャラとのギャップに、失礼ながらちょっと笑ってしまった(苦笑)。

 

さて、話しを元に戻すが、この本の中で、著者が影響を受けた本がたくさん紹介されている。そのほとんどが日本人作家の本である。僕自身、特に昭和の時代の作家の本は、あまり読んでいないことに気がつかされた。特に若い頃であったため、あまり難しい本は読もうとしなかったということもある。

 

ただ、この本を読んで、無性に読んでみたいと思わせられてしまった作者が何人かいる。

五木寛之、石原慎太郎、大江健三郎、中上健次などなど、名前はもちろん知っているが、作家としてどの様な本を書いているかは、お恥ずかしながらほとんど知らない。この中では「太陽の季節」を、それも途中まで学生時代に読んだことがある程度ではないだろうか。

 

著者が編集者として、これらの著名な作家に如何に本を書いてもらうか、そのアプローチ方法は想像を絶している。その迫力や熱量・熱意は、今の若い人達にどの様に伝わるのであろうか。

しかし、どうしてもやり遂げたいことがある時に、ここまでしてでも人を動かしていくということは、だんだん年を取るほどできなくなってくることである。僕自身の反省とともに、やはりこうやって熱い想いを持つことで成功している人もいるのだと言う、改心にもなる、よい機会になったと思う。

そして、久しぶりに昭和の日本文学を読む時間を作ろうと思った。