停電が長期化するということ

台風15号が去り、2週間近くになろうとしている。にもかかわらず、未だに停電や断水で困っておられる方々がおられるとのこと。その苦労は、とても我々には想像できないレベルになっていると思う。

本当に、1日、1秒でも早い復旧を願うばかりである。

 

千葉からさほど離れていない都内で仕事をしていると、正直、台風通過後しばらくしてからは、もう何事もなかったように生活や仕事は営まれている。しかし、ほんの何十km先では、未だに停電が続いている。このギャップは(あらゆる災害において)無常なほどである。

 

停電といえば、我々一般人としては、東日本大震災の時の計画停電を思い出す人もおられるかもしれない。私の家族も、実際に2度ほど経験したが、その何時間の間だけでも、相当にストレスフルであった。

本当に当たり前にしていることが、当たり前でなくなる時に、これほど人は苦痛を感じるのかと、自分ながらに驚いた。

電気がつかない、冷蔵庫が使えない、インターホンが鳴らない…。これにより、対応しなくてはならないこと、想定しなくてはならないことが、予想以上に自分達に襲い掛かってくる。

普段の当たり前の生活が、どれ程有り難いものなのか、本当に実感させられた。

 

電気の有り難味は、僕自身、小中学生時代のボーイスカウトのキャンプでも、痛感させられていた。

長期休みの度に、団主催のキャンプがあったのだが、中でも夏休みの5泊6日のキャンプは、絶望的に過酷なキャンプであった。

特に、下の学年当時で行ったキャンプは、正直地獄を見た思いであった。

通常の現代生活からの完全断絶。昭和の時代であったので、もちろんスマホもインターネットもなかった。しかも、うちの団は極めて厳しく、ストイックであることが京都市内でも有名で、お菓子を持っていくことも全く許されず、毎日本部から配給された食材のみで食事を組み立てていくしかなかった。

しかも、火焚きについても固形燃料系の道具は全て使用禁止で持参できず、「立ちかまど」を縛材(木材)と荒縄で組み立てて、薪を集めて火焚きをしなくてはならなかった。

当時の班のリーダーがあまり技能的に優れた人ではなかったので、キャンプ中に「立ちかまど」が傾いてしまい、途中から上手く火が焚けなくなってしまった。

この時、普段からベーコンを生で食しているという、強者の先輩がおり、それじゃ生で食べるかと言ったことになり、僕と同期の2人は、数時間後に漏れなく恐ろしい腹痛で、地元の病院の救急外来にお世話になってしまった。

 

また、上手く食品ロスを出さないようにすることができず、そのごみ袋をリーダー達に見つけられてしまい、下っ端の2人で、この恐ろしい量の生ごみを自宅まで持ち帰らざるを得なかった。

 

こう書くと、とても今の時代では考えられないことだらけであるが、本当にこの悪夢のようなキャンプから帰ってきた後、家でクーラーの部屋で先輩に怒鳴られることなく、やっとホッとすることができたことの記憶は、未だに忘れられない。ただ一方で、キャンプ中、本当に多くのことが技能不足で上手くいかなかったことから、この技能がないということの恐ろしさと不快さをまざまざと感じ、それは帰宅後も心の奥底にネットリと泥のように残っていて、何日経ってもなかなか拭えなかったことも印象的であった。今から思い返すと、その10代前半の子供としては過酷な大失敗の経験が、後に同期2人でともに「菊章」獲得までスキルアップしていった原動力になっていたのかもしれない。

この、当時の5泊6日のキャンプは、思春期間もない少年にとっては、非常に途方もなく長く感じた。そして強烈なホームシックをずっと感じていた。

 

翻って、現在も停電されている住宅の方々は、多くの場合、我が家が損傷されている方もおられると思う。そういう方々は、いつ落ち着いてエアコンの効いたところで、ゆっくりお風呂にも入って、ホッとすることができるのであろうか。大きな心のキズはいつになったら癒されていくのであろうか。

 

まずは1秒でも早く停電も断水も解消され、しっかりと自宅の復旧、町の復興に向かうことができるように、心から祈るばかりである。