「南極観測船しらせ」からのメール(中)

前回の続きです…。

 

実際に、彼が予備校に通っていた頃、僕もポリクリが始まり、医師国家試験も近づいていたため、そんなに会える機会は多くなかった。

 

ただ、時々京都に帰省した際には必ず会って、どんな状況なのか話し聞いたりしていた。

微分積分なども、この大学卒業後からはじめて勉強しだしたわけだが、元々の地頭がよいようで、高校生やまだ10代の浪人生に負けない吸収力で、どんどん成績も伸びていった。

それでも、僕自身3浪して医学部に入ったので、小嶋にも「3年かかるぞ」と、焦らせないように話しをしていた。

 

しかし、結局彼は2年で見事医学部に合格。しかも医学部2年生からの編入ということで、予定していた医者になるまで9年計画だったのを、7年で達成することになる。本当に凄いことだと思った。

 

京都時代のエピソードとして、未だに二人であった時に話題が出る出来事があった。当時、やはり極力お金をかけずにいたいと思っていたようで、僕が帰省して連絡を取った時に、手持ちのお金が120円くらいと言っていた。そこで、じゃあ急いで僕の実家まで来たらと言ったら、喜んですぐに行くとのこと。

このため、母親に「今から何か食べさせるために、お茶漬けでも何でもいいから、飯を作ってくれ」と頼んだ。特に何も取留めもない食事だったと思うが、美味しそうに食べてくれていたので、家に呼んでよかったなと思ったことを、今でもよく覚えている。

そして、彼の下宿からだと5㎞程の距離だったため、彼は自転車で来たのだが、夏の暑い時期で、途中暑くてコーラを飲んだら、手持ちが十円しか残っていないと言っていた(笑)。

 

彼が医学部に合格したのと、僕が医師になったのが、結果的に同じ年になった。医者になった途端に、研修医として、怒涛の忙しさで仕事をしていた。僕がやっと医者として一息付けた頃に、今後は小嶋が研修医として、怒涛の忙しさになったため、その後も年1~2回しか会えなかったと思う。しかも、彼は北海道・室蘭で研修をし、その後も千葉の南房総や三重県、そして最近までは種子島と、様々な土地で、整形外科医・家庭医として仕事をしてきた。

 

今回の南極観測隊参加については、ちょうど名古屋出張の時に三重県から名古屋まで出てきてもらった時に、実は狙っているんだと話しをしてくれた。

2年がかりで念願の観測隊参加に漕ぎ着けたようだが、さすがにしばらく会えないことになり、しかも約1年半、妻子を置いていくということだったので、久しぶりにお互い家族同士で先月、上野で集まることとした。

南極観測隊の拠点が東京・立川の辺りにあるらしく、そこでの出発直前の色々な準備についてなど、知らないことを面白おかしく教えてくれた。

 

また、「しらせ」からのメールまで、話しが辿り着かなかった。この続きは次回、年越しとさせていただきたい。

しかも、最新情報として、今日、昭和基地に到着したとメールでの連絡があった。

とうとう南極に上陸したらしい‼

 

非常に中途半端な終わり方で申し訳ありませんが、本年も大変お世話になり、誠に感謝申し上げます。

「それでは皆様、よいお年を‼」