「応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱」を読んで

「応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱」(呉座 勇一 著:中公新書2016)を読んだ。久しぶりの日本史ものである。

 

かつては、司馬遼太郎に永らくハマっており、片っ端から読み漁っていた時期があった。

それも、かなり読みつくしてからは、あまり日本史ものは読まなくなってしまっていた。

 

「日本史上の大トピックとされていながらも、全体像を捉え難い「応仁の乱」。そんな題材を、既成史観の図式に頼ることなく、絶妙なバランス感覚で丁寧に整理した新書がヒットしている」(メディア掲載レビュー 週刊文春 2017.3.2号掲載より)といった高評価が数多くされており、僕も興味を持った。

 

読んだ感想は「とてもぐちゃぐちゃしていた」だ。これは、著者の力量を指しているものでは決してなく、「応仁の乱」そのものが、想像以上のぐちゃぐちゃ感であったことが、この著者の力量によって、我々に実感させてもらうことができたのだと思う。

 

実は、現在、塩野七生著の「ローマ人の物語」の、しかもユリウス・カエサルのセクションを同時に読んでいる。このカエサルという偉大な人物の取っていた威風堂々とした行動・振る舞いと、この室町時代末期の足利家をはじめとする将軍・諸大名たちのあまりの頼りなさとのギャップが、いたたまれないほどの差があって、かなり悲しい気分にすらなる。

 

僕自身、銀閣寺の近くで育ってきたため、やはり足利義政は特別な存在である。しかし、このようにふらふらと政治に口を出すのか出さないのかといった気まぐれな行動をしていれば、収まる混乱も終息には向かわないなと、痛いほどよく分かった。

今までの定説では、義政は政治を嫌って隠居生活を送っていたと言われていたが、思った以上に政治に中途半端ながら最後まで絡んでいることが多かったということが驚きであった。

 

これまでの定説などに流されず、諸将の行動・心理状態だけでなく、高僧達や庶民の行動等に至るまで、本当に仔細に渡りきっちりと調べ上げ、このような書籍出版にまで漕ぎ着けたことが、このようなマイナーな時代を取り上げたにもかかわらず、前例のないヒット作となった要因であろう。

 

煮え切らない戦さに加えて、非常に中途半端な度重なる戦後処理。こういった曖昧な裁定を何度も下していく間に、結局は有力大名がどんどん没落していき、外様であった者たちが、後に戦国時代で活躍していくという図式になっていくということが、本当によく分かる本であった。

 

「大河ドラマ」でも「応仁の乱」を取り上げた年は視聴率が上がらなかったとのこと。なかなか一般人には、かなりつまらない要素が満載なため、この本はお勧めし難い。しかし、そんなつまらない時代を取り上げたにもかかわらず、冷静沈着にしっかりと分析してくれたからこそ、コアな日本史ファンにとっては、非常に今までのデッドスポットを埋めてくれている良書だと感じる。