夏目漱石と小説②

以前にブログにも書いたが、僕はかなりの雑読派である。

ビジネス書から新書・小説に至るまで、面白そうであれば手当たり次第に読む癖がある。

 

読み終わった本は、あまり残さず、どんどん段ボールに入れていき、1箱満杯になったらブックオフで買取してもらったりしている。

最近は、子供達が読み終わったマンガや本もその段ボールの中に入っている。時々、その中から僕でも読めそうな本を漁り、読み始めてしまうことがある。

このため、10代が読むようなライトノベルや、若者に流行っている話題作を読んだりすることもある。

 

今回も、段ボールの中を見てみると、夏目漱石の「文鳥・夢十夜」という本があった。どうも読書感想文で書くために仕方なく買ったようであった。僕も久しぶりに読んでみたのだが、これが、この令和の時代、明治の文豪小説を読むのはかなり骨が折れた。やはり、文調が今の時代とは異なっており、慣れなければスラスラと読むという訳にはいかない。

 

ただ、ちょうど日経新聞朝刊で夏目漱石の伝記ものが連載されているところであったので、漱石やその家族のことを知れたので、そういったバックグラウンドがあったお蔭で、途中で投げ出さずに読み切ることができた。

そうは言っても、読み進みにくく、何ページか読むと眠気が襲ってくる。このため、たまたま飲んで帰ってきたりした時など、睡眠の質が落ちて、夜中に目が覚めることがあるのだが、そういった時に、睡眠薬代わりに深夜、この本を読んでいると都合のよいことに睡魔が襲ってきてくれる。そんな活用にも用いながらだったので、かなり長い期間をかけて無事読み終えることができた。

 

これらの短編は、いわばエッセイやコラム的なものが多く、しかも結構赤裸々に漱石のプライベートな内容も描かれているのに驚いた。

イギリス留学当時のこと、自宅でのこと、そして吐血して療養していた修善寺でのことなど、いずれも一人称で書かれた内容が多いのが印象的であった。

 

僕は普段、あまり「あとがき」や「解説」に重きを置かないのであるが、本の最後の「あとがき」では、見事な漱石やその作品群に対しての分析がなされている。ある意味、こうやって学者や批評家たちが寄ってたかって小説家たちのことを分析し、批評するから、小説家たちもあの手この手で、こういった人達の裏をかくような文章を書くようになり、どんどん話しの内容にシンプルさが無くなってきているのかなとも思わずにはいられない。

 

漱石は、そういった意味でも、初めての現代小説家であったため、一番ピュアに小説やエッセイを書くことができた作家であったかもしれない。

 

こういった著者の背景を知ることで、明らかに読み進みやすくなることが、今回よくわかった。

ただ、こんなことは10代の頃はまったく分かりもしなかったし、こういった明治文学を学校で習うのは、やはりかなりつまらないと思われても仕方がないのではとも思ってしまう。

 

歴史を学ぶのも、マンガから入ると理解しやすいが、こういった文豪たちの小説についても、かなり時代も異なってきているため、子供達はどんどんアニメや漫画で、まず最初は触れ、親しみを持ったところで本文を読んでみるとよいのではないかと感じる。大人たちは、ただただ子供に圧しつけるだけではなく、そこに一工夫してあげることを常に考えることが、若い人たちに日本を深く知ってもらうためにもやはり大切なのだと思う。