週に1回だけの束の間の外出

先日、池袋駅のメトロポリタンプラザビルに行く機会があった。

本当に久しぶりに行ったので、入り口も漠然としか覚えておらず、ちょっと迷ってしまった。

ただ、このビルは、僕にとっては非常に印象深い思い出がある…。

 

大学の教養課程が終わり、いよいよ医学部での実習が始まるということで、都内に初めて下宿した。

その下宿した場所が、池袋駅西口周辺だった。このため、学生時代の東京デビューは池袋を生活の中心として過ごしていた。そのうち、メトロポリタンプラザビルの中にある理髪店で髪を切ってもらう様になった。そこの店長さんに必ず髪を切ってもらっていたのだが、ちょっとやんちゃさがまだ残っている感じの男気のよい話しやすい人だった。その後、医学部実習が忙しくなり、大学近くに引っ越した後もずっと定期的に通っていた。

 

国家試験にも無事合格し、研修医となった後、怒涛の研修医生活が始まった。シニアレジデントからは、「入院している患者を診察してから次の診察まで、決して24時間空けるな」と、今でいえば正しくパワハラな言動だが、それをガツガツ実行し、恐らく医師になった1年目は360日以上研修病院にいたと思う。

 

ただ、鬼門は血液内科の2か月間であった。当時の血液内科は超厳しいオーベンがいることで有名であった。そして、そもそも疾患として医者がすべき業務が多く、このためとてつもなく研修医は忙しく、まだまだ治療法も確立していなかったところもあり、なかなか患者さんも症状が改善しないことも多かった。一旦化学療法が開始されると、骨髄抑制や感染症などの影響で、毎日毎日頻回に採血する必要もあった。しかもこの頃、私のいた研修病院では、病棟患者さんについての採血の手技は医師だけにしか認められていなかった。このため、研修医は毎朝の仕事は病棟採血から始まり、そのデータを急いで確認し、その日の治療方針などをオーベンに相談しながら、合併症や感染症の管理なども行っていた。

 

しかも僕がラウンドした時に、何と2人しかいない血液内科医の若い方の先生が結婚式と新婚旅行とのことで、2週間不在となってしまった。

このため、通常受け持つ患者数の2倍の患者を受け持つこととなり、ただでさえ業務量の多い血液内科で、尋常じゃない忙しさとなってしまった。恐らく20人以上の患者さんを受け持っていたと思う。その中で化学療法中の方が10人以上いたと思う。

 

この時、実際に状態の難しい患者さんが何人かおり、どんどん帰宅時間が遅くなり、とうとう日曜日に帰宅し、1週間分の着替えをカバンに詰め、同時に1週間分の洗濯をまとめて行い、終わり次第数時間後に病院に戻るというような生活になっていった。

この様な状態が1か月以上続いたところで、どうしても髪の毛が鬱陶しくなって散髪したいと思っていた。

 

次の日曜日、幸いいずれの患者さんもある程度状態が安定していたので、思い切って散髪に行こうと考えた。このため、普段よりも病院に戻ってくる時間が遅くなる旨を病棟看護師に話しをし、何か緊急の事態があればすぐに連絡してもらう様、お願いした。

 

そして、髪の毛を切りに行ったのが、メトロポリタンプラザビルの理容室でだった。

1か月以上ずっと病院からほとんど出ることは無く、必死で働いていたので、繁華街の喧騒の中に出ると何か不思議な感じもした。実際に理容室で髭を剃ってもらっている時は至福の時で、こちらがサービスの提供を受けるということもこの1か月間ほとんど皆無だったので、短い時間ではあったが久しぶりに安心してホッとした気分になることができ、髭を剃られたまま意識を失う様に眠ってしまった。

 

 

そんなことをメトロポリタンプラザビルに入ってみて、久々に思い出した。

 

今の時代、当時の様な無謀ともいえる「超長時間残業」が前提の働き方はできなくなってきているし、それを若い人達に実践してもらおうとも思わない。

ただ、振り返ってみると懐かしい思い出であり、当時必死で馬車馬の様に働いていたことが、今の年齢になって非常に医師として役に立っているところも数多くある。

 

当時の研修医仲間で集まったりすると、みんな似たような経験があり、懐かしくそれらの思い出話をよくすることはある。

これからの若い人達に、いかに効率よく、しかも当時の様に中身の濃い経験を積んでもらうことは、相反するようにも思えるが、どうしてもクリアしていかないといけない課題であり、どの業界でも大変悩みの多いことであるのではないだろうか。

メトロポリタンプラザへの訪問は、そんな色々な懐かしいことを思い起こさせ、そして今後の日本の働き方についても考えさせてくれるきっかけとなる出来事であった。