1月 2019

今週、「行動変容につながる健康情報発信のデザイン」というタイトルで、順天堂大学総合診療科 専任准教授で、さんぽ会会長もされている福田洋先生と、NHKエデュケーショナル科学健康部主任プロデューサーの藤井耕介様のご講演を聴く機会があった。

 

福田先生は、保健医療分野でも、これからは今まで以上に「誰に(to Whom)」「何を(What)」「どう(How)」伝えていくか、様々に工夫を凝らしていく必要があり、そのためには「動画」で情報発信することも求められる時代になってきたのではないかと仰っていた。

実際に、福田先生ご自身も少しずつ「動画」で医療情報を発信していけないか模索され始めていた。このように医療者側が多種多彩なアプローチ法をとってでも、一般人である受け手側に「印象に残る」ようにコミュニケーションを取っていくことが大切ではないかと、ヘルスリテラシーの第一人者としての考えを述べられていた。

 

また、藤井様からは、普段NHKでどの様なコンセプトを持って番組制作をされているかを教えていただき、制作にあたっての大切な考え方をお話しいただいた。

その中で、まず「キャッチコピー」を考えること。そして、情報を自分の中でしっかり咀嚼する。そして、様々な目線から「伝えたいこと」を見直し、自分が発信したい内容は「なるべく具体的に、その人の立場にする」ことが重要だと仰っていた。

 

その中で、僕が印象的に残った言葉は、「そもそも、受け止める方は常に多様性なのです」と言われた言葉だ。

NHKといえば、毎日本当に多くの方々が視聴されており、常に様々なご意見・クレームなどがあるかもしれない。その中でさらに、「自分の伝えたいことは1つに絞る」とも仰っていた。

昨今、どの様に多様性・ダイバーシティを受け入れていくかということが話題となっているが、そもそも我々は古くから、多様な受け止め方の中で、どの様にコミュニケーションを取って行けばよいかをずっと模索してきているのだなと、今更ながらに思った。

 

伝えることのプロから、意外にも「伝えるテクニック」ではなく、「伝える思いの大切さ」を伝授していただいたことは、我々医療者にとって非常に重要なことではなかったかと思う。

 

我々が扱う情報発信は、テレビに比べれば本当に小さなマスである。しかし、その内容は常に医療情報であるのであるから、しっかり「伝えたいこと」を1つに絞り、受け手の一般人の方々に「印象に残って」そこから「健康増進に繋げてもらう」ように、今まで以上に高いレベルで創意工夫していくことが求められている時代なのだと感じた。

東京の冬空は、本当に見事なくらいの連日快晴だが、北風が思った以上に強く、見た目以上に寒い。

年々、僕は寒いのが苦手になってきて、少しでも寒いとすぐに体が冷えやすくなってきている。

これを「歳をとった」と言われてしまえば、何とも言い返す言葉がない。

 

しかしこの冬、少しこの時期の体の冷えを助けてくれているものがある。

それが、本格的なインドカレーだ。

 

インドカレーが元々好きだった訳ではない。正直、辛いものは苦手な方で、お昼の外食でわざわざ辛いカレーを食べに行くことは、今までほとんどなかった。

 

それが昨年、神保町に事務所を開設させていただいてから、神保町界隈のカレー屋さんに行くことが増えた。神保町界隈のカレーは、ご存知の通り、昔から有名なカレー屋さんがひしめき合っているエリアだ。

学生時代から御茶ノ水エリアにはいたので、時々は神保町界隈のカレー屋さんに行くことはあったが、神田川の向かい側で、坂の下といったこともあり、わざわざしょっちゅう食べに行くようなことはなかった。

 

それが、最近は徒歩5分以内のエリアにたくさん本格的なカレー屋さんが色々とあるため、お昼を食べに行くことが増えた。しかも、全然知らなかったのだが、このエリアの居酒屋さんや喫茶店でもランチでカレーを提供しているところが多く、しかもそのカレーがいずれも本格的で美味しい。

 

そもそもは辛いカレーはあまり得意ではなかったので、はじめは結構必死で食べることもあった。ただ、食べた後もポカポカと体の中が温かくなり、午後ずっと体調が良いことを自覚するようになってきた。

そうなると、だんだん病みつきになってきて、辛いのも少しずつ慣れてきた。

 

今までは、お昼に一人で外食する時は、特に食べたいものがない時は、とりあえずラーメン屋を探していた。しかしこの冬は、神保町以外の場所でも、食べログなど検索してでもカレー屋さんを探すようになってきた。

 

これからいよいよ最も寒い時期、何とかこの苦手な時期を乗り切れるように、本格的カレーで、しかも辛口を注文して、体を冷やさないようにしていきたい。

ただ、ナンが思った以上に大きかったり、意外に量やカロリーが多く、ついつい太らないように注意しなくてはとも思う(苦笑)。

 

今週、就業規則について、株式会社MDネットの渡辺ユキノ専務取締役のご講演を聴く機会があった。

実際、嘱託産業医で訪問すると、ベンチャー企業など創設間もない会社の多くは、就業規則があまりきちんと整備されていないことが多い。このため、様々な場面で人事的に混乱することが少なからず認められる。

 

産業医としても、就業規則で明記されていないと、復職判定の際など、会社や社員に対してどの様に対応してもらえばよいかこちらも困惑しまうこともしばしばあったりする。従って、「就業判定」の根拠としての「就業規則」をしっかり整えておくことが、非常に重要である。

 

ご講演の中で、印象的だった一つに、「自己保険義務」という言葉がある。昨今、働く方改革が進む日本の中で、残業時間の厳守など、何かと会社の「安全配慮義務」を問われることが大変多くなってきた。

確かに、会社側はこの「安全配慮義務」を労働契約の基本として、厳密に順守する必要がある。しかし、一方で、会社側が「安全配慮義務」を遵守することの裏返しとして、実は従業員側も「自己保険義務」を果たさなければならない。

このため例えば、メンタル疾患で就業困難な状態になった社員を、「安全配慮義務」の観点から会社側は休職させると認定した場合、休職となった社員にもこの「自己保険義務」に努める必要が生じる。このため、休職期間中に海外旅行に行ったり、SNSであまりに楽し気な写真をアップすることなどは、ふさわしくないと考えられる。

 

現在のところ、「自己保険義務」については、法令上、どこにも明記されていない。

しかし、最近はこの「自己保険義務」を、社内の就業規則内に明記している会社も増えてきているとのこと。「自身の健康維持に十分留意し、体調管理を怠らないこと」などの文言を考慮することも、今後は必要かもしれない。

 

会社の就業規則を書き換えることは、非常に手間と労力がかかることであると思う。ただ、会社の中で、きちんと働いている人が損をして、楽をしようと考える人が得をするような状況は避ける必要がある。今まで少なからず蔑ろにされていたところが否めない「就業規則」であるが、これからの「働き方改革」の時代にきちんと対応するためには、しっかりと見直すべきところは見直して、今の時代に合った内容に改定していく必要があるのではないかと考えられる。

 

今月21日、日本経済新聞社が「何歳まで働くつもりか」を全国の18歳以上の男女を無作為に抽出して調査した記事が、同新聞に載っていた。

これによると、70歳を過ぎても働く意欲を持っている人が3割いたとのこと。

 

近年の目覚ましいがん治療の進歩に伴い、私の印象としても、ますます最近長生きされる方が増えてきている気がする。それ自体は大変喜ばしいことではあるが、実際90歳や100歳まで生きることも、かなりリアリティがある現実となってきた気もしている。

私と同様、そういった長寿を意識してきている人達が増えていることが、この「70歳を過ぎても働く意欲を持っている人が3割」のデータとして現れているのではないかと思う。

 

癌の救命率上昇の一昔前から、脳梗塞や心筋梗塞で亡くなる方々が日本では減少してきている。まさに、日本の救急医療や脳神経系・循環器系の医療レベルの高さが、これを可能にしていると言えると思う。

 

ただ、救命と、健康寿命が延びるということが必ずしもイコールではないことも現実としてある。特に、脳梗塞後遺症は、誰もができる限り避けていきたいと考えているのではないだろうか。

 

にもかかわらず、その脳梗塞の原因であるメタボリックシンドロームや高血圧・糖尿病・脂質異常症といった生活習慣病に対する危機意識は、現役で働いている社会人の方々の中で、私の想像以上に「過度に低い」ことが産業医をしていて日頃感じることであり、そして大変危惧されることでもある。

 

60歳を過ぎても元気で働くためには、40~50歳代の時に如何に体調を崩さなく乗り切れるかが非常に大切なのではないだろうか。

まだまだ働きたいと思っていても、今できているレベルで働けない身体になってしまっては、自分が納得した仕事や生活が送れなくなってしまう。

「後悔先に立たず」と言ってしまえば、それまでだが、そうした人達を1人でも減らせるように、自分の専門性をしっかり活かして、これからもっと幅広く働いていけたらと思う。

先週末、名古屋で臨床コーチング研究会が主催する、2日間にわたる臨床コーチング研修会が開催された。これは、「臨床コーチング研究会認定コーチ」の資格を取るための研修会である。この研修会を受講し、その後、所定のレポートを提出する。その上で、「臨床コーチング研究会認定評価委員会」にて、研修終了と認定された人が資格を得ることができる。

 

内容としては、「聴く」「質問する」「承認する」といったコアスキルに加えて、コーチングやコミュニケーション手法についての基本的な知識・理論についても講義があった。さらに、メディカル・コーチング特有の考え方・対応の仕方や、そのエビデンスなども知ることができる。

まだまだ、メディカル・コーチングの歴史は浅く、成熟しているとは言い難いところはもちろんある。それ故、教科書的なテキストもまだまだ少なく、こういった講習会で初めて情報を得ることも多いので、大変勉強になる。

 

受講者も、北は北海道から南は九州まで、40名程の全国から様々な職種の医療者が受講されていた。今回は、特に医師の先生方の受講者も多かったのが非常に印象的であった。いよいよ、医療現場においてもコーチングを活用せざるを得ない環境になってきていることが、この受講者数やメンバーをみても分かるような気がする。

 

私も、「質問する」と「話題提供」としてチーム医療内でのコーチングの活用の仕方などについて、講演をさせていただいた。

是非、こういった医療現場での事例を知ることで、日本中の医療機関で、上手にコーチングを活用しながら円滑なチーム医療が行えたり、それにより患者さんの治療効果が上がっていってもらえれば、これ程嬉しいことはない。

 

また、1日目の夜には懇親会があり、大勢の参加者と講師陣とが一緒に和気あいあいと楽しく飲み会ができた。たくさんの新たな交流もすることができ、色々な医療人の方々の熱い想いなども知ることができて、大変刺激になった。

 

さらに7月21日には、同じ名古屋で第14回臨床コーチング研究会の総会・学術集会が開催される。年々、参加者も増えてきており、また新たな出会いをすることも楽しみである。是非、皆さんも参加していただければと思う。

 

今週、御茶ノ水駅で下車したところ、ホームにエレベーターが設置されていた。

まだ工事中で、利用できるのはもう少し先のようだが、ようやく不便だった駅が便利になっていくのだなと思った。

 

 

御茶ノ水駅は今の時代では驚くことに、エレベーターもエスカレーターもこれまで全くなかった。今の時代、エレベーターもエスカレーターも設置されていない駅は、少なくとも都心部ではまず考えられないのではないだろうか。このため当然、階段を利用するしかなく、高齢者や大きな荷物を持った人にとっては、非常に利用し難い駅であった。

 

しかもご存知の通り、お茶の水エリアは東京医科歯科大学附属病院・順天堂大学附属順天堂医院、日本大学(駿河台)病院、杏林堂病院といった大病院がひしめき合っており、東京大学病院もここからバスを利用される方も多い。日本屈指の病院銀座と言われるような、大きな病院が密集しているエリアの拠点駅になっている。

 

実際に、私が本院で外来をしていた時にも、杖歩行の高齢女性の患者さんは、秋葉原駅で電車を降りて、そこからタクシーに乗って順天堂医院まで毎回来ていると言っていた方がおられた。そういった意味でも、本当に患者さん達にとって待望の設備であった。

 

 

確かに、駅の立地的に、神田川の川岸の縁に線路と駅がある状態であるため、なかなか今までエレベーターやエスカレーターを設置する物理的なスペースが全くなかった。このため、ホームの頭上に駅の通路を増築し、今回やっとエレベーターも設置されたようだ。

実際の工事は、本当に大変だったのだと思うが、恩恵を受ける人たちがたくさんいることを考えると、今回の大掛かりな工事は非常に有意義であると思う。また、駅構内の新しいスペースがどんな風になるかも楽しみである。

しつこくて申し訳ないが、今回もクイーンの話題とさせていただきたい。

 

正直、当時、勝手に自分はロジャー・テイラーに似ているのではないかと、如何にも自意識過剰な中学生的な発想で思っており、一時期髪型もそれなりに似せていたこともあった。

色々な懐かしい思い出がよみがえってくるが、本当にそのバンドが今頃になってでも改めて評価されるということは、驚きでもあり、感謝の念を感じる。

 

今回の映画をきっかけに、クイーン関連のことを改めて調べてみると、新たな発見もたくさんあった。

驚いたのは、僕が同級生のY君と一緒に行った、大阪城ホールのクイーンのコンサートは、日本で最後の公演だったそうだ。

50歳代以上の世代の中には、クイーンのライブに行った人はそこそこおられるかもしれないが、40代でリアルタイムでのクイーンのライブに行った日本人はかなりレアなのではないだろうか…。

 

クイーン大好き中学生だった僕は、クイーンの日本公演を知り、しかも大阪に来ると分かり、「これは行かないと」と思った。

所詮は中学生であったので、高校受験ももちろん控えていた。そしてライブ終了後、帰宅するとなると深夜になるため、親にも付き添いをお願いしないと行けない立場であった。

にもかかわらず、それでも行こうと思ったのは、やはり中学生ながらに、「そろそろクイーンは解散してしまうのではないか」という気配を感じていたからだと思う。そして、有り難いことにブラバン友達の幼馴染のY君も一緒に行ってくれることになったのが、奇跡的に日本最後のクイーンの公演に行くことが実現した重要な要因だと思う。

 

普段は何かと小煩いことを言っていた当時の母親も、意外にすんなりと話しを聞いてくれた。これはかなり意外であったが、もしかしたらそれくらいこの話を持ち出した時の僕の顔が切羽詰まった顔をしていたのかもしれない。

 

ライブに行く前は、映画の中でも観客全員で大熱唱していた「Love of My Life」の歌詞を、Y君と一緒に

予習していたことも思い出される。実際に、大阪城ホールでも大合唱だったのだが、その光景は本当に感動的だった。

 

 

この2ヶ月後に、今回の映画で話題になったライブエイドが行われることになる。

あの映像を見ると、大阪公演でのライブは、確かにライブエイドのリハーサル的なレベルの纏まりしかなかったと言われても仕方の無いレベルではあった。

しかし、そうは言っても、得難い経験であったことも間違いない。

初めての海外アーティストのライブに行くために、必死でチケットを2枚確保し、そしてLPやFMでしか聴いたことがなかった大好きなバンドの生演奏を聴くことができた。

その会場の熱気や雰囲気を、10代半ばで経験できたことも、今思うと非常に貴重であった。

そしてその感動を、30年も後に話しすることができることも、大変有り難いと思う。

 

改めて考えてみると、今の時代にクイーンが注目されているのは、演奏面だけではもちろんなく、多様性が受け入れられる社会になってきたからこそだと、僕も思う。

僕自身、専属産業医で働いていた時は、ダイバーシティ部門の社員に教えてもらい、社内でのLGBT活動を知ることができたし、ストレート・アライ(Straight ally)への署名に参加もさせてもらった。

まだまだ日本の中では、公の場では話しづらい話題ではあるが、僕も一通りLGBTの歩んできた歴史なども教えてもらった1人ではあるので、少しずつ今回の映画も足掛かりにして、活動にご協力できたらとも考えている。

 

フレディ・マーキュリーの苦労や苦悩を無駄にしないように、むしろこれからの時代にしっかい生かしていくために、僕も医師として、やれることからこれらの取り組みにも色々な形で参加・参画していきたいとも、年の初めに考えている。

僕がクイーンを知ったのは中学1年生の時。当時、部活の先輩達から、吹奏楽のことはあまり一生懸命教わることはなかったが、洋楽のことはかなりしっかり教え込まれていた。その中で、「クイーンはいいぞ」と勧められていた。「それは美人揃いなんですか?」と聞いたら、おっさん4人組だと聞いて、ちょっとゲテモノを扱うような食わず嫌いでなかなか気が進まなかった。

 

しかし、初めて「世界に捧ぐ」のLPを貸してもらい、家のLPプレーヤーで聴いた時のインパクトは強烈であったのを今でも覚えている。

いきなり一曲目が「We Will Rock You」で始まり、一旦静寂となったところで、フレディの静かな歌声とピアノが流れる。そしてドラムとともに、フレディの歌声はクレッシェンドされていき、あの「We Are the Champions」が熱唱される。その瞬間、鳥肌が立ったのを今でも覚えている。

まさかロックの曲で「鳥肌が立つ」という感覚になるとは、考えてもみなかったので、非常に驚いた。と同時に、クイーンというバンドのファンになった瞬間でもあった。

 

そして、それからレンタルレコード屋で全てのクイーンのアルバムをコツコツと小遣いを使いながら借りてきては、カセットテープにダビングしていた。

その中でも一番凄いなと感じたアルバムが「オペラ座の夜」であった。当時、中学生だった自分にとっては、何が凄いかは上手く説明できなかったが、とにかく全ての曲が素晴らしい。

クイーン以外にも、’80年代の様々なアルバムをレンタルレコード屋で借りてきては、せっせとカセットテープにダビングしていたが、僕の中ではこの「オペラ座の夜」がmy best albumと言える。

 

社会人になってから、とうとうカセットデッキも処分してしまったため、当時のアルバムをCDで買い直そうと思った時に、まず最初に買ったCDも「オペラ座の夜」だった。

 

こんなことを言っても、これまで誰も相手にしてもらえないので、特に自分から話すこともなかったのだが、今回の映画「ボヘミアン・ラプソディー」のおかげで、そう言った話をする機会を与えていただけたのは、本当に有り難い。

 

特に映画の中で、各メンバーが作曲に携わっているシーンがあり、こうやってメンバー1人1人が、このアルバムに関わっていたことを知れたことは、僕にとって非常に貴重なことだ。

 

クイーン・ファンである僕にとっても、あの「ボヘミアン・ラプソディー」がどうやって作曲されて、世の中に出てきたのか不思議であった。それくらい、ロックというジャンルの中で群を抜いて異彩を放っている曲であった。その背景が、まさかこの平成が終わろうとしている頃になって、映画で映し出されるとは、全く想像していなかった。

 

しばしばビートルズの「サージェント・ペパーズ」になぞらえられることもあるこのアルバムは、最後に英国国歌までもが入っていたり、「劇場」というテーマを持ったアルバムと大見得切ったことに、充分お釣りが返ってくる内容となっているのではないだろうか。内容については、話し出すと止まらなくなるので、とやかく言わないが、是非多くの若い人達にも聴いてほしいと思う。

 

 

 

 

とは言え、下記は蛇足です。

 

映画の中でも、観客全員で大熱唱していた「Love of My Life」。僕も大阪城ホールでその一員として歌っていた。

「You’re My Best Friend」もシングルカットされただけあって、非常に聴きやすくクリーンないい曲である。

「Lazing on a Sunday Afternoon」や「Good Company」は、アンニュイな感じでリラックスして聴ける。

そこに「’39」というブライアン・メイのカントリー風の楽曲もある。ジャンルが違い過ぎて突拍子もない感じでもあるのだが、これがこのアルバムの懐の深さと言えるところで、しばしばビートルズの「サージェント・ペパーズ」になぞらえられる所以でもあり、「劇場」というテーマを持ったアルバムならではとも言えるのではないだろうか。また天文学者らしい歌詞も、天文学者らしい博学な内容で驚きである。

そして、最後に「God Save the Queen」でのブライアン・メイのギターソロ。国歌までもがアルバムに入っているとは、破天荒な幅の広さと言える。

1985年5月、大阪城ホールで僕は、あの「ボヘミアン・ラプソディー」がどの様にライブで演奏されるのか、正直ハラハラしながら始まるのを待っていた。

何せ、あのオペラパートはさすがにライブでは再現できないだろうと思っていたからだ。そんなことを素人のしかもただの中学生が心配したところで、所詮どうしようもないことなのだが…。

 

 

遅ればせながら、映画「ボヘミアン・ラプソディー」を見に行った。

11月からロードショーという、宣伝コマーシャルを見た時は、正直、ちょっと観に行きたくないなと思っていた。

そもそも、フレディ・マーキュリーを俳優が演じるということ自体が、無理があるのではないか。そして、クイーンの大ファンの1人として、もしもつまらない映画を観てしまって、クイーンに対するイメージが歪んでしまうくらいなら、今回の映画を観ることなく、10代の頃の自分の中でのイメージそのままでいたいとも考えていた。

それから、そもそも「どうして今頃クイーンの映画?」という疑念もあった。

 

しかしながら僕の意に反して、世の中ではこの映画の評価は日増しにうなぎ登りで人気が出ていった。そして、報道ステーションでもNHKでもクイーンの特集がされていたほどだった。

極めつけには、1歳年上の従兄に年末会った時に、「えっ、まだ観てないの。昔あんなに好きだったじゃない。いい映画だったよ。」と言われてしまった。そこまで言われたら、これは観に行くしかないと思い直したのだが、年末、自分のスケジュール管理が上手くできず、なかなか行けなかった。

 

 

今回の映画の感想として、素直に観に来て良かったなと思った。

印象的だったのは、あのクイーンの代表曲たちが、ああいった経緯を経て、曲作りされていったということを初めて知ることができた。それも素直に知れて嬉しかった。

今まで、ビートルズのこういったデビュー前からの一連の経過は、FM等でも大特集されていたことがあり、それなりに知っていたが、クイーンについては初めてだった。

 

ご存知の通り、フレディの死については色々なことが今までにも言われており、確かに面白おかしく書き立てているものもあった。そういった意味で、LGBTやダイバーシティが受け入れられるようになってきた今の時代に、我々が改めてフレディ・マーキュリーという人物について再考してみると言うことは、非常にタイムリーで、こういった時代になったからこそ、様々なことを学ぶことができるのではないだろうか。 そう考えると、この映画を作ってくれた製作者の皆さんに深い感謝と、そしてクイーンの名曲をたくさん映画の中の適材適所で選んでくれた、そのセンスにも敬意を払いたいと思う。

 

そして蛇足だが、映画冒頭の20世紀フォックスのファンファーレ。ブライアン・メイのギターソロ、最高でした!!

新年明けましておめでとうございます。

本年も、どうぞ宜しくお願い致します。

 

さて、年明け1回目のブログを何にするか考えてみたが、偉そうなことを書くよりは、自分のドジ話から始めるのがよいかなと思った。

 

何を隠そう昔から、親も呆れるほど、子供の頃から「忘れ物王」であった。

特に傘を忘れた回数は、生まれてこの方50を遥かに上回っていると思う。希望的観測で100は超えていないのではと思いたいが…。

 

先月も、同じ日にビニール傘を2回、電車内に置き忘れてしまった…。

最近、傘を失くすことが少なくなってきたかなと思っていたので、またやってしまったと自分自身ショックだった。

 

子供の頃から大人になってもずっと忘れ物の常習犯だったので、母親も嫁もそのことはよーく知っている。もう完全に諦められていると言った方がよいかもしれない。なので当然、ビニール傘しか使わせてもらえない。

逆に、きちんとした傘を長期間大事に使っている人達が、なぜいつも忘れずにいられるのか、正直不思議でしょうがない。

 

今までの忘れた時のシチュエーションを振り返ってみると、だいだい同じパターンが多い気もする。

大抵は、直前まで携帯を見ていたり本を読んでいたりして、駅について慌てて降車時に、思いっきり傘のことを失念してしまっているパターン。それから、荷物が多い時に、他の荷物に気を取られて傘まで気が周っていないパターン。大抵どちらかのパターンなのかもしれない。

 

このため、最近は乗車した時に、例えば「バッグと紙袋と傘の3つ」と、予め自分自身で確認するようにもしている。そういう時は確かに忘れずに済むことが多い。ただ、なぜだか過信して、「もう忘れないだろう」という根拠のない浅はかな自信を持っている時は、見事に忘れてしまうことが多い。

 

もうすでに子供達にも呆れられているので、面目は丸つぶれなのだが、今年こそは「傘の忘れ物ゼロ」を目指して、変な過信はせず、乗車時にきっちり傘を持っていることを確認して、余裕をもって下車するように心がけたいと思う。

さて、連勝記録はいつまで続くか…。