10月 2020

昨日、本当に読売ジャイアンツからドラフト5位で指名された。

本当に凄いことだと思うし、心から「おめでとう‼」と言いたい

 

早速、今朝、スポーツ新聞をと思い、客観的にどんな風に記事にされているのか気になり、日刊スポーツを買ってみた。

すると、「まずは野手で起用する方針」と、数行だけのコメントであった。

 

そこで、仕方が無いと思い、スポーツ報知を購入。

すると、裏表紙にどデカく(自動販売機よりも大きな)全身写真が載っていた。

 

全くの蛇足の話しだが、

  • 小5生の時にすでに僕とほぼ同じ身長だった。しかも、「超イケメン」で可愛らしい顔つきだった。背が高すぎて、今いち顔が分かり難いが、顔でも身長でも大谷には負けていない。あとは、野球で真っ向勝負を挑んでほしい。
  • 千葉県大会当時、バッタバッタと打者を次に三振に切って取っていたので、お母さんたちは「優斗さま~」と叫んでいた…。
  • 公式戦前日での練習で、守備練習のため、お父さん達全員が順番に打席に入って、エース秋広(小5)と対戦した。通常、ボーイズリーグでは、あまり父親達が直接的に練習には加わらないのかもしれないが、何せ10人程しか部員がいなかったので、やむを得ず参加することがあった。

僕自身も初打席。きれいに三遊間を破り、レフト前ヒットを打った。これが僕自身、硬式野球初安打であった。「将来、プロに行ったら、自慢できるわ」と、お父さんと盛り上がっていたが、いよいよその言葉が現実となってきた。

 

この少人数のチームであったため、小学校卒業後、みんな野球も高校もそれぞれ思い思いのところに散らばっていったにもかかわらず、完全に関係が切れることなく、今でもそれとなくコミュニケーションのやり取りが続いている。

 

今度は、このかつてのチームメイトとその家族たちで、プロ野球で活躍している姿をみんなで応援しに行くようなこともあるのであろうか。

実は、7月に書き上げてはいたのだが、ブログに載せるのをペンディングにしていた。

ただ、昨晩のTBS・ニュース23でも紹介されたようで(残念ながら、僕はもう寝てしまっていた…(涙))、いよいよドラフト候補として現実味を帯びてきた、一人の高校生をご紹介したい。

 

7月8日のサンケイスポーツ新聞に、「二松学舎にジャイアントな二刀流!2メートル秋広が高校通算22号「目標は大谷選手」」というタイトルの記事があった。

https://www.sanspo.com/baseball/news/20200708/hig20070805030001-n1.html

現在、プロ野球に身長200センチ以上の日本選手はいないとのこと。この二松学舎大付高(東東京)の200センチの長身右腕、秋広優人投手(3年)は、中学時代は肘や膝の成長痛で投手としては活躍できなかったが、昨秋から投手兼一塁手として、打っては4番を任されている。

兄・涼太君も同校OB(現・中央学院大3年)で、甲子園でも6番一塁手でヒットも打って活躍していた。小学生の時は、ボーイズリーグの日本代表として、元メジャーリーガーの野茂英雄氏が監督の下、キューバなど超強豪国と世界大会で試合にも出場していた。

実はこの秋広兄弟、僕の息子と同じチームメイトであった。兄は、息子の2学年上、弟は1学年下。

 

特に弟・優人君とは、息子が小6生の時にはまさにチームメイトとして、一緒に何試合も一緒にプレーしていた。当然、彼がエースでクリーンアップを打っていた。

実は、東日本大震災直後で専用練習場が無くなり、非常に大変な中、メンバーも全員で10数人しかいない、本当にファミリーのようなチームであった。ただ、このスモールメンバーで千葉県代表になり、全国大会に出て、大阪のチームと試合ができたのも、物凄く良い思い出だ。

 

その後、結局そのチームは人数不足で解散。ただ、そんなスモールメンバーのチームだったので、お互い家族全員が知り合い同士で仲が良かった。7月の記事も、直接秋広家から教えてもらった。

 

記事によると、「類を見ない角度に加え、球速も投げる度にアップする成長に、プロ球団も注目。この日はソフトバンク、楽天、ロッテ、巨人、広島、ヤクルトの6球団のスカウトが視察。その中で最速143キロをマークした」とのこと。

小学校から、中学・高校と決して順風満帆に来たわけではない苦労人だけに、なおさら「二刀流」とは簡単にいかないかもしれないが、是非、プロ野球で大活躍してほしい。26日が注目される。

 

先月23日の日本経済新聞朝刊に、気になる記事が掲載されていた。

高齢医師が老いた住民を診る「老老医療」が増えとのこと。そして、日本経済新聞の分析によると「大都市圏では2026年までの10年間に後期高齢者1人あたり診療時間は2割減少。医師の不足感が過疎地並みになる地域が2割に達しそうだ。遠隔診療の普及など医療の生産性を高める対策が必要だ。」と書かれている。

秋田県内では「大館市や鹿角市など3市町がひとつの医療圏。住民の36%が65歳以上で、医師の3分の1が60歳以上だ。10年前から開業医は3割減った。新型コロナウイルスが追い打ちをかけ、この病院では残業が増えた。」

ただ、「全国で医師が減っているわけではない。医師数は18年で32万7千人と10年間で14%増えた。ただ、医師に定年がない要素が大きく、59歳以下はわずか5%増。男性医師の平均勤務時間は40代の週70時間超から60代は50時間台に減る。かたや75歳以上の後期高齢者は受診回数が急増する。医師の年齢や勤務時間を考慮すると、高齢化が加速する大都市も厳しくなる。」とのこと。

 

正直、都心部で生活されている人達や医師でさえ、このニュアンスは伝わりにくいかもしれない。

ただ、僕自身、伊豆長岡の大学分院で勤務していた時に、伊豆半島で新規開業したという話しはほとんど聞かなかった。一方で、高齢医師が体調を崩し、閉院するといったことは、毎年一度は耳にしていた。

それくらい、地方、特に僻地になればなるほど、若いドクター達が新天地でクリニックを開業するといったことは、すでにほとんどなくなってきている。しかも、既存の病院からも常勤医は徐々に徐々に減少し続けている。

 

国は、地域医療構想を念頭に、「医師の働き方改革」の最終ゴールとして、地方にもきちんと必要な医師が配置されていくよう施策をうち始めている。ただ、現実はそれとは逆行して、地方の医療崩壊が進んできていることが、今回の記事からも伺われる。

これから5~10年すると、急激に女性医師が増え、男性医師が減っていく。現在の地方医療を支えている医師が圧倒的に男性医師であることを考えると、日本の医療の将来を考えていく上で、かなり踏み込んだ政策等の取り組みを行っていかなければ、この負のスパイラルを正のスパイラルに180度転換させていくことは容易でない。

 

ただ、悲観的なことばかりを言っていても仕方がないし、実際に病院全体でコミュニケーションを積極的に取ることによって、打開策を上手に図っている病院も全国でチラホラ見受けられ始めている。

こういった取り組みをされている病院について、今後、徐々にこのブログでもご紹介させていただけたらと考えている。

 

昨年の本だが、「職場における性別ダイバーシティの心理的影響」(正木郁太郎著;東京大学出版会)を読んだ。

 

「働き方改革」を行っていく上で、どれだけ「多様な人が協働しやすい環境づくり」を提供できるかが重要になってきている。そこには、もちろん女性の活躍できる場をきちんと提供することも必要であるし、子育て世代のサポートやシニア世代の就業継続等についても、今まで以上に日本国内において積極的に取り組んで行かなければならない方策はたくさんある。

 

ただ一方で、「そもそも多様な人が協働することは組織に何をもたらすのか?」「多様な人が協働する組織ではどのようなマネジメントが有効か?」といった、企業にとって重要なダイバーシティ・マネジメントに関するエビデンスについては、欧米に比べ、日本の中ではまだまだ明確な結論といったものが示されていなかった。

このため、この本では特に性別にフォーカスを当てながら、日本の企業などで働く人達に様々なアンケート調査を行い、学術的な統計解析を行い、日本型の「ダイバーシティ・マネジメント」とはどの様な特徴があり、どうすればこの様な風土醸成ができるかを探っていった結果が示されている。

 

その具体的な実践的示唆が2つなされている。

まずは、当たり前のようだが、各会社によってかなり事情が違っているということである。それは、日本の中で「職場におけるダイバーシティ」は、今まさに過渡期にいるということが伺える。例えば、外資系企業やグローバル企業では、日本国内であっても女性役員数が増え、ダイバーシティの風土はかなり確立されていたりする。しかし一方で、未だに男女機会均等でなかったり、男女の意識の平等さの低い、日本特有の年功序列の体質が強い企業もまだまだ存在する。

 

このため、アメリカで得られた結果の「直輸入」には弊害もあるということ。

確かに、海外で実証されたインクルージョンの重要性が日本でも有効な企業はある。

インクルージョン(inclusion)とは、直訳すると包括・包含という意味となるが、包括は全体をまとめること、包含は包み込む・中に含むことを指すようだ。ビジネスに当てはめると企業内すべての従業員が仕事に参画する機会を持ち、それぞれの経験や能力、考え方が認められ活かされている状態とのこと。

先程の外資系企業やグローバル企業では、今さら「男女平等」を唱える施策をうっても職場内は白けてしまうだけである。

一方で、いわゆる日本的体質が強い企業においては、女性のモチベーションや情緒的コミットメントが男性に比べて低い調査結果も出ている。そういった企業で、いきなり男女を等しく処遇し、平等な関与を求めると、かえって既存の強い性差や性役割分業の存在と競合し、両者の協働を難しくすることがあるとのこと。従って、かなり丁寧に初歩的なダイバーシティ・マネジメントを行っていく必要があるとも考察している。

 

令和の時代は、ダイバーシティやSDGsがかなり強く求められる時代になってきているが、実際には企業や組織によって進展具合はまちまちであるため、その状態・レベルにあったオーダーメイドな対策を取っていくことが、企業や組織の発展・イメージアップのためには大切であるということが、学術的にも分かってきたということであろう。

 

 

4年前の本だが、「規制の虜―グループシンクが日本を滅ぼす」(黒川清著;講談社)を読んでみた。

 

率直に、予想以上にクオリティの高い内容で驚いた。正直読む前は、医者が原子力発電のことを書いて、きちんと理解しているのか等といった懸念があった。しかし、ある意味、専門家やマスコミでの報道よりも論理的かつ科学的に、我々日本人が、今後どの様にこの原発事故について向き合っていけばよいかといったことを、前向きに考えさせてくれる内容であった。

 

ただ、医者であれば誰でもこの様な内容の本が書けるかと言えば、それはもちろん全く容易いものではない。これは、そもそも黒川先生が日本を代表する医学博士であり、かつ素晴らしくグローバルな視野の広さをもっておられたからこそ、成し得た業なのであろう。

 

まず、著者は2011年の東日本大震災における原発事故発生当時、報道がされ始めた直後から、海外のメディアや有識者のコメントなどを拾い集めていかれた。すると、日本の中で報道されている情報とは異なる報道や、日本が直ちに取るべき対策などが、海外の情報をチェックすることによって、明確になってきたとのこと。

そして、このままでは日本が世界から信用を失ってしまう可能性も十分に考えられるため、政府から独立した国際的な調査委員会を立ち上げ、福島第一原発でいったい何が起きたのかを検証し、そのプロセスを世界に公開することで、この不幸な事故の教訓を世界の共有財産にして、日本国家の信用失墜を最小限にし、解消していくことが必要であると考えられた。このため、全米科学アカデミー等とメールで意見交換を始めたそうだ。それが、なんと3月15日頃の時点での話しだという。

ここまででも、一般人とは全く異なった視点で原発事故を見ておられた、そのレベルの高さがよく分かり、読者はその凄さに圧倒されてしまう。

 

海外では、国を揺るがす大事故や大事件が起きた時に、立法府(国会)が独立した調査委員会を作るのが当然のプロセスなのだそうだ。ところが日本では憲政史上、こうした委員会が設立されたことは一度もないとのこと。後日談で、この「国会事故調査委員会は日本憲政史上初」ということを先進国各国で知られるようになると、一様に信じられないといった反応が返ってきたらしい。ちなみに、イギリスでは年に2~3の重要な案件についての独立調査委員会が進行しているとのこと。

 

日本の中で、前例のないこと自体を立ち上げることの難しさは、みなさんもよくご存知の通りだ。

しかも、この事故調委員会は、おおむね半年間という制約があり、しかも、勤務形態や給与の支払い、セキュリティの管理まで、全く手探り状態で始めなければならないという、これを聞いただけでも、とても成しえないようなプロジェクトへの挑戦であった。

 

しかし、実際に現地視察や、東電や政府要人などに対してのヒアリングも行い、それを報告書としてまとめていった。しかも、黒川先生の凄いところは、この報告書には委員全員がサインをし、英語版まで作成したことである。全員がサインをしたということは、全員が納得するまで議論を重ね、質の高い査読がなされ、修正を根気よく繰り返したからこそできることではないかと思う。しかも、その内容が諸外国の人達にも分かるように英語版まで作成し、グローバルにオープンにしたことも、その品質の高さに自信がなければ決してできないことだと思う。しかも、委員会での議論や参考人聴取の様子や記者会見なども動画で公開されている。

 

1936年生まれという、一般的にはご高齢な年齢とは裏腹に、若い年齢の我々よりも、新しいことにチャレンジし、「出る杭は打たれる」ことを買って出て、原発事故という、本当にデリケートな問題にも果敢に挑んでいかれる姿は、本当に尊敬に値するし、我々も大いに見習わなければならない。

今場所、横綱不在であったため、大関陣の圧倒的有利な場所になるかと思ったが、意外にも関脇以下の力士の活躍が目立った場所となった。

 

そして、優勝したのは正代。未完の大器と言われながら、今年もなかなか優勝まで手が届かず、どうなるかと思っていたが、今場所は見事に力があることを示してくれた。特に、14日目の朝乃山との一番。立ち合いで大関が浮き上がったほどの当たりの強さは、非常に見応えがあった。

 

 

何を突然、相撲の話しと驚かれる方もおられるかもしれないが、一応、子供の頃から大相撲は好きで、各取り組みの「決まり手」は95%程度的中できるくらいの相撲の知識もあるのです。

 

実は、特に相撲好きを決定づけたのは、ある遠い親戚がかつて時津風部屋の後援会長をしており、小学生の頃に何度か大阪場所に連れて行ってくれたことにも起因している。

祖母の妹の旦那さんという人だったのだが、僕の通っていた中学校の傍に住んでいて、家はそれほど離れていなかった。血も繋がっていなかった訳だが、意外にウマが合って、よくかわいがってもらった。

初めて連れて行ってもらった本場所は初日だったと思うが、二代目若乃花が横綱で、結びの一番で負けてしまい、升席から座布団を投げたことが、今でも非常に印象に残っている。場内、割れんばかりの歓声が上がり、凄い高揚感であった。

 

ただ、時津風部屋はというと、当時、強い力士がおらず、僕としては何となく納得がいかなかった。父親に聞くと「伝統ある部屋で、昔は強かった」とのこと。

僕が物心ついた時には、大関豊山はすでにおらず、イケメン蔵間や小結豊山はいたが、優勝争いをするようなレベルまでの強さはなかった。

 

その後も低迷期は続き、挙句の果てには暴行事件・野球賭博事件・新型コロナウイルス感染対策ガイドライン規律違反と、何とも不祥事ばかりで一般人にはその名を知られるところとなってしまった。もうこれで浮上のきっかけすら無くなってしまったかと思っていたところに、今回の正代の優勝に大関昇進。何と時津風部屋としては、北葉山以来57年ぶりの優勝とのこと。

 

正代というと、仏頂面で一見ふてぶてしそうだが、コメントが以外にも肝っ玉が小さい感じで、そのギャップに驚かされる。NHKでテレビ中継を見ていると、SNS上で正代(まさよ~)と呼ばれたりして、ちょっと面白い。

ただ、真正面からぶつかっていく力強い四つ相撲を取るし、熊本復興のシンボルともなっているので、是非、これから大関・横綱として長く活躍してもらいたい。