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私の祖母は、長電話の常習犯であった。

昭和56年秋、小学生だった私は、その日母親が用事があって家にいないので、学校帰りに祖母の家に行った。

家に入ると祖母は電話をしていた。この電話が終われば、何かおやつを出してもらえるかと思い楽しみにしていたが、待てども待てどもその電話は終わらなかった。話しの内容で、誰か祖母と同世代の女性と話しをしているようだった。

 

祖母が電話していた居間のテレビがついており、3時のワイドショーやニュースを見ると、F教授がノーベル賞を受賞したとのこと。すると祖母が、「おめでとうございます。素晴らしいことですね。テレビでもやっていますよ」といったことを話していた。しかし、マシンガントークの祖母はすぐに話題を変え、年配の女性特有の日常生活についてのよもやま話しに内容が戻っていった。小学生の私としては、お腹はすいているし、話の内容は詰まらないし、少しイライラしていた。普段もそう言うことはちょくちょくあったのだが、今日はそれに加えて、まさかとは思うが、電話の相手がノーベル賞受賞婦人だったらどうしようと、気が気ではない気持ちにもなっていた。

この長電話のお蔭で、全国のマスコミ各社が、F教授宅に連絡が取れず、困っているのではないかと子供ながらに心配になってきたからだ。

実は、祖母の家は京大のそばにあり、湯川秀樹の記念館も町内にあった。

 

1時間以上過ぎて、やっと電話が終わった。私は「誰と電話していたの」と祖母に聞いたところ、「F教授の奥様にお祝いの電話をしていたの」と平気な顔で答えながら、お菓子を出してくれた。その言葉を聞いて、私は卒倒しそうになった。

そんな偉い人と知り合いだということと同時に、今まさに各局がノーベル賞受賞のニュースを報じている最中に、悠々と1時間以上もその当事者と電話していた祖母の型破りな性格に、愕然とした気持ちだった。しかも、会話の中身も今は話さなくてもよい内容の方が圧倒的に多かったような…。

 

聞いた話では、祖母は明治の時代に親の反対を押し切って仙台から飛び出して東京に行き、女子大付属の高校か中学の先生をしていたこともあるとのこと。以前から感じてはいたが、肝っ玉が据わっているということが、いやというほどその時感じさせられた。僕にもその性格が似たような似なかったような…。

 

 

以降、この時期に京都でノーベル賞受賞の報道を見る度に、私はあの小学生時代の祖母の長電話を否が応でも反射的に思い出してしまう。あの時の教授婦人やマスコミの人達には、いったいどれくらい迷惑をお掛けしてしまったのであろうか…。

 

今年も京都でノーベル賞受賞のインタビューがされている。一人の内科医としても、京都で育った人間としても、本当に今回の受賞は誇らしいことだと思う。