今月11日の朝日新聞デジタルでも、「さよなら普門館、ずっと心に「吹奏楽の聖地」歴史に幕」というタイトルで記事になっていたが、「吹奏楽の聖地」と呼ばれた普門館(東京都杉並区)が立て壊しに伴い、一般公開していたが、11日に大盛況の中、終了した。今月5日からの1週間でのべ1万2千人の吹奏楽ファンらが訪れ、憧れのステージで最後のひとときを過ごしたとのこと。
普門館では、全日本吹奏楽コンクール(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)の中学校、高校の部が長年開かれていた。我々「ブラバン人間」連中にとっては、まさしく「普門館は吹奏楽の甲子園」であった。
僕の高校時代の吹奏楽部の同級生も数名が、別れを惜しみに普門館に行ってきた。僕も誘われたのだが、スケジュールが合わなかったのと、何となく気おくれするところがあり、結局行かなかった。
僕自身、初めての普門館は、高校3年生の10月。全日本吹奏楽コンクールでの舞台であった。本当に贅沢な話だが、客席に入るよりも先にステージに上がり、自分の人生の中でも最も印象的な一瞬を、そこで経験させていただくことになる。
高校時代の集大成としての演奏するために、いよいよ舞台袖からステージに楽器を持ちながら移動してきた時の印象は、指揮台から客席までの距離が長く、そこだけでも普通のホールの舞台の広さがあるなと感じたことだった。しかし、演奏と演奏の合間で照明が暗くなっていたので、あまり客席の広さ、特に幅の広さについてはサイズ感がよくわからず、あまりそこまで広いと感じていなかった。そして広さを意識しない様に、自分自身あまり客席側を見ない様にしたことを覚えている。
実際に演奏が始まり、自分も音を出してみて、普門館の音響面での印象は、「噂通り、これは全く反響しない、ほとんど屋外で吹いているようなホールだな」と感じた。
しかし、その時の僕自身は全く慌ててはいなかった。それは、僕らのホームグラウンドである当時の「京都会館第1ホール」も、ほとんど反響しないような古いホールだったからだ。
(ただ実際のところ、極度の緊張で両足震えているし、音も震えてしまっているしと、相変わらずのあがり症ではあったのだが…。)
最近のホールは、本当に音響効果が抜群で、素人が吹いても物凄く上手に反響してくれるので、実力以上に音が勝手にホール全体に飛んで行ってくれる。このため、ロングトーンをさぼっていても、それなりにかなり上手く聴こえてしまう。
ただ、当時はそんなクオリティの高いホールはほとんどなかったし、しかも普門館は5千人入る超巨大ホールだったので、かなりの技量がないと、ほとんどの吹いた音が反響してくれることはなかった。
このため高校時代、僕は毎日、朝8時くらいから夜8時くらいまで、時間があればひたすらずっとロングトーンをしていた覚えがある。つまりずっと音を長く吹く練習を1年中していた。これは運動系の部活が基礎錬のためにランニングをするのと同じで、最も地味でキツイ練習だった。
ただ、普門館(全国大会)で演奏することを目標にしてきたし、部活としてだけでなく、自分としても、全国大会金賞レベルの演奏をしたいと考えていたので、普門館対策として、音の響きを出すために、ひたすらロングトーンに励んでいた。
高校入学当時は、体育館から最も遠いグランドの端に立って、体育館の壁に向かってロングトーンをしていたのだが、高い音しか反響する音が返ってこなかった。
それが、徐々に徐々にだんだん低い音でも、体育館の壁から音が返ってくるようになり、全国大会前は、最も反響しにくい「下のシ」の音でも、反響する音が自分の耳に届くようになっていた。
そういった意味では、普門館でも、あまり焦ることなくいつも通りの演奏ができたと思う。
そして結果も、京都府として初めて「全国大会金賞」をいただくことができた。
その当時の思い出を、当時の記憶のまま留めておきたかったので、先週、普門館をこの年齢で訪れるのは、僕自身の中ではやめといた方がいいと感じたのだと思う。
普門館は5千人入る巨大なホールであったし、そのステージの緞帳は本当に大きく、そこにデザインされている富士山も本当にデカかった。
演奏が終わって、客席側に行ってみて、ホール内の横の幅が驚くくらい広いのをみて、ちょっと足が震えてしまった。
客席側から見た、あの広さを知っていたら、自分のことだからかなり焦ってしまっていたのではないかと思う。
耐震基準を満たせないこともあり、普門館は今後取り壊されてしまうとのこと。非常に残念ではあるけれども、僕も人生において本当に「かけがえのない時間」をいただいた場所だけに、心より感謝すると共に、お疲れ様でしたと言いたい。「普門館、本当に有り難うございました!!」