学校で着る服 個性尊重の時代へ

2020年3月17日の日本経済新聞夕刊で、ちょっと気になる記事があった。

それは「学校で着る服 個性尊重 私服で登校OKの日/TPOを学ぶ機会に ルール見直しの動き」という記事だ。

 

最近は、「着用ルールを見直す動きが中学校や高校の現場で広がってきた。私服で登校できる「カジュアルデー」を設けたり、性的少数者(LGBTなど)らに配慮し、本人の望む性に適した服装を選びやすくしたり。学校などには生徒の自主性を育み、個性や多様性を尊重するきっかけにしようとする狙いがある。」とのこと。

 

昭和の時代、あれだけ規則・規則で雁字搦め(がんじがらめ)だった日本の学校が、「個性尊重」「多様性」を認めるようになり始め、令和の時代になり日本の学校もいよいよ流れが変わり始めていることを感じさせる内容だ。

やはり高度成長期のように、上司や経営陣の言う通りにさえやっていれば、会社は成長し、給料も上がる時代であれば、ああいった規則を守ることもある程度大切だったのかもしれない。

しかし今や、大きい会社ほど雁字搦めで動きが取りにくいことも多く、当時のように、大きくて有名な会社がよい会社と単純に言えない時代になってきている。

そういった意味では、学校でも今の時代は、みんなと同じ格好をしていることが、決して良い時代ではなく、自分の特徴・個性をアピールすることが求められるようになって来ているのではないだろうか。

このため、私服で登校できる「カジュアルデー」を設けたり、LGBTに配慮したりと、本人達の望む服装を選びやすくする試みも、子供達にとって非常に大切であると言える。

 

ただ、実は毎日私服で登校となると、それはそれでかなり大変なことになる。

何を隠そう、僕が通っていた中学校は制服が無く、全員私服だった。公立中学で私服だったのは、全国でも数校しかなかったらしい。

小学校も制服などなく、幼稚園も私服だったので、生まれてこの方、一度も着ずに義務教育まで終えてしまった。

ただ、特に中学校時代、服選びは結構大変だった。シーズンが変われば服も変わる。思春期なので流行も追いたくなるので、その度にちょこちょこ四条河原町界隈に繰り出しては、みんなで服を買いに行ったりもしていた。なので、もちろんお金もかかった。

それが、高校に入って制服(学ラン)になったので、パタッと服を買わなくなった。あのつめ入りの学生服の窮屈さや、毎日同じ格好でのつまらさも少し感じたが、部活も忙しかったし、男子校であったので、本当に気楽であった。元来ズボラな性格なので、本当に高校3年間は服を買うこともめっきり無くなってしまった。

 

実は、京都市内の公立高校でも私服の学校があり、そこに進学した人間は、一生制服を着ることがない奴もいた。それがよいのか悪いのか…。

 

ただ、最近の取り組みのように、普段は男女ともに制服着用がルールだが、月1~2回、私服でよいカジュアルデーを設けるような頻度から始めていくのは、非常に良いと思う。

 

そして、頭髪検査もある程度緩やかにし、靴の指定も無くしていくことも、同時に是非取り入れていってもらいたい。

昨今、社会人に対しスニーカー通勤が推奨されているが、中・高校生こそ、スニーカー通学を推奨すべきだと感じる。革靴・ローファーだと、ちょっと走ったり、運動しようと思っても、とにかくすぐに脱げてしまったり、汚れるのが嫌で動くのがかなり億劫になってしまう。

10代のうちは、基本的には革靴は履かせずに、靴から運動がしやすいように環境を整えてあげることが、この運動不足の時代には大切な要素のひとつであると、私は考える。