東京にいながら、実際のオリンピックもパンデミックも、直に触れるということが無かったのだが、最後に偶然、パラリンピックのマラソンを沿道から少しだけ見かけることになった。
後日、ブログに書こうと思っているのだが、3ヶ月限定でオンラインの禁煙外来を日曜日に銀座で行っていた。9時開始なので、9時前に銀座界隈を通勤途中でコーヒーを買おうと歩いていた時に、ちょうどパラリンピックのマラソン選手達が銀座シックスの前辺りを何人か走り抜けていった。
(ちなみに、僕が見渡した限りでは、日曜日の朝早くであったこともあるかもしれないが、沿道に少しは観戦者もいたが、密集するようなことはなく、選手が通り過ぎていく時に声は出さず、拍手で応援していた。このため、ボランティアや警察官・マスコミ等も含めた大会関係者の方が多いくらいであった。)
そうした中で、しっかりと鍛えられた日焼けした体でヨーロッパの男子選手が、僕の目の前を走り過ぎていったのだが、片腕が肩から無かった。それが非常に印象的であった。やはり通常では考えられないハンディキャップを持った人が、マラソンランナーとして鍛え抜かれた走りをしている。
これは確かに、子供達や多くの方々に見てもらった方がよい光景なのだなと、その選手の走りを見て強く感じた。まさに「百聞は一見に如かず」である。やはりこういったパラリンピックで活躍している選手たちを自分の目で見る機会があるということが大切なのだなと、自分としても強く感じた。
正直なところ、テレビでパラリンピックの競技自体を観ていたかと言うと、それほどでもなかった。やはり、オリンピックという世界レベルの競技を数々観た後なので、ちょっと迫力には欠けるところもあった。オリンピックは世界のトップアスリート達の晴れ舞台なのであるから、当然であろう。それよりも、高校野球の「負ければ終わり」の戦いといった、子供達の真剣勝負が感動を呼ぶように、パラリンピックも心揺さぶられるところがあるのだと思う。
日本社会においても、障碍者雇用も定着し始め、女性や高齢者の雇用等も増えてきている。そういった多様性が受け入れられる社会になるための活動を行っていくためには、やはりこういった実体験ができるような地道な取り組みを数多く行っていくことが大切なのであろうということを、改めて教えられた気がする。