先日、小伝馬町駅付近に仕事で行く機会があり、ヤフーの「乗換案内アプリ」で、電車の乗り換え方法や出発時間を検索しようと思った。
ところが、「小伝馬町」と上手く文字変換できない。何度か試して、初めて読み方を自分が間違えていたことに思い当たった。
正直なところ、僕はずっと「こでんばちょう」だと思っていた。しかし、本当は「こでんまちょう」であったらしい。
今まで、(小伝馬町の話題になることは多くなかったとは言え)誰かと会話していた中で「こでんばちょう」と言っていても、誰からもそれを指摘されたことはなかった。(実は、間違えていると認識されていながら、スルーされていたとなると、かなり恥ずかしいが…)
しかも、僕もこれまでに地下鉄日比谷線に乗っていて、小伝馬町駅を通り過ぎることは、東京に出てきて30年ほどの中で、これまでにも何度もあったはずだ。しかし、一度も車内アナウンスで「こでんまちょう」と言っていることに気がついたことがなかった。
そう言われてみれば、司馬遼太郎の吉田松陰の生涯を描いた小説「世に棲む日日」の中で、小伝馬町の牢屋敷を「生き地獄」と表現していたことを覚えている。
あの小説を読んでいた時も、何の疑問も持たず、「こでんばちょう」と思って読み進めていたのだろうか…。
実際に、かなり久しぶりに小伝馬町駅を降り、地上に上がってくると、そこは日本橋界隈のオフィス街が続いており、その中に、確かに複数の社寺が所々に見られるといった、江戸の歴史と現代とが組み合わさった町であった。
今回、「乗換案内アプリ」で小伝馬町駅を検索したことは、初めてだったと思う。検索したからこそ、気がつくことができたのだが、東京に出てきて30年。まだまだよく分かっていないことがあると知り、ちょっと新鮮な気持ちにもなった。
この歳になって、言い間違えしながら会話していることがあると、かなり恥ずかしい。しかし、指摘でもしてもらわない限り、気がつかないこともあるかもしれない。皆さんにも、そういった長年思い違いしていた言葉などはあったりするだろうか…。
やはり、日頃から慢心せず、何か間違えていないかと、気を引き締めていなければならないと改めて感じる。