「選手を信じきる」だけではない栗山監督のリーダー論に、日本のどれだけのリーダーが追随できるのか

栗山監督が就任当初から言い続けてきた「選手を信じる」ということを、準決勝の村上選手のサヨナラ二塁打や決勝のダルビッシュ・大谷両投手が見事に体現してくれた。

 

準決勝では、3三振を喫した村上は後退させた方がよいと、僕も思ったし、決勝戦でまさか日本がリードして最終回を迎えるとも思っていなかった。そこには、まさに「選手を信じきる」ことを体現したからこその組織の強さが表れており、日本代表チームの凄さを我々は実感として味わうことができた。

 

WBCが終わって、少し冷静な目でこれらの栗山監督のリーダーとしての立ち振る舞いを見てみて感じたことは、僕自身、この「信じきる」ということは、まさにSL理論(Situational Leadership Theory:状況対応型リーダーシップ)とサーヴァント・リーダーシップの極みではないかと考え始めている。

 

まずは、首尾一貫として行われ続けたのが、とにかく現場の人達の声を聴くこと。伝統的なリーダーシップとは異なり、常に現場の声を拾い上げ、あらゆる選手を尊重したリーダーシップを発揮した。

次に、昨年の就任当初は、必要な場面ではティーチングも行ったと思われるが、徐々にコーチングに移行していき、アメリカに移動してからのメジャーリーガーに対しては、明らかに彼らに「任せる」意思を明確に示していた。だからこそ、8回ダルビッシュ・9回大谷という、マンガの世界が決勝の場で現実となり、しかも見事に彼らが期待通りの役割りを果たしてくれたことで、文句なしの勝利・優勝へと導くことができた。

 

栗山監督は「WBCで活躍する選手達を見て、少しでも多くの子供達が野球をやってみたいと思ってもらえれば」と何度も言っていた。野球関係者の多くも全く同感であったであろう。僕も少年野球から高校野球まで、父親として見てきた中で、子供達の中で、野球ほど昔に比べて今の時代、衰退の一途を歩んでいるスポーツは無いと危機感を感じている。とにかく、ファールゾーンもかなり広く必要で、場外に硬いボールが飛んでいくことも多い野球というスポーツを行うできる場所・グラウンドが日本にはどんどん無くなってきているからだ。

 

そんな苦境に喘いでいながら、未だにかなり古い体質が強く残っている野球界では、相当な意識改革も起こさなければ、今の子供達には振り向いてもらえない危機感も、栗山監督が持ってられたのではないか。そのため、今回のWBCにおいて、こういったサーヴァント・リーダーシップと呼ばれる、きちんと現場で働く人達を信頼し続けて、意見を聴き続けるリーダーが素晴らしいことを、「世界一」という形で体現した。、これは、野球におけるトップ・リーダー像を激変させた。恐らく、栗山監督は敢えて変えたことを強調したところもあるのではないだろうか。

こうした配慮を行ってくれるリーダーの下でこそ、是非スポーツをしたい・働きたいという思いも、若い人達に強烈に植え付けたことを、どれだけの野球監督・コーチ、そして企業の社長や病院長等が感じたのであろうか。

これは、伝統的リーダーシップしか行って来ずに、現場で働く人達を尊重せず、意見等聴かず、会議でも一方的に話続けているリーダー達がいよいよ悉く駆逐されていくぞという狼煙を上げたといった、ある意味、宣戦布告と同義ではないかと、僕自身は考えている。

 

実際に、高校野球や大学ラグビー・駅伝、プロサッカーなど、栗山監督と同じようなリーダーシップを発揮しているチームの方が、実際には明らかに強いチームに育っている。

いい意味で、日本も組織体系が大きく変わり始めている。そうしたことが、古い体質が残っていた野球界においてでも見事に体現してくれた。日本の新しい社会・文化の幕開けを強烈な形で示してくれた「非常に前向きな事件がマイアミで起こった」のである。