非常に多くの音楽関係者の方々が追悼メッセージをかいておられるので、全くの部外者が立ち入るエリアではないのは重々解かっているが、僕も実は2度お会いしたことがあるので、その思い出話を少しだけ書かせていただければと思う。
お会いすることができたのは、実は高校生の時。場所は、京都と大阪である。正確にいうと、京都会館とフェスティバルホールだ。その頃、ボストン交響楽団を従えて、まさに凱旋演奏会といった形で、日本中が大歓迎して迎えたことは、当時をよくご存じの方も多いかもしれない。
なぜ、お会いすることができたかというと、僕の中学の部活の後輩に小澤征爾氏の甥っ子がいて、しかも僕と一緒の楽器を吹いていた。
小澤4兄弟は有名な話で、僕の後輩は長男の息子さんであった。すでに亡くなられていたのだが、まだ河原町七条で女性専用のホテルを経営されていた。モーツァルトが1曲完奏できれば宿泊料が無料になるとのことで、当時話題となったホテルだ。
そこにも何度か遊びに行ったことがあり、非常に親しくしていた。
中学校卒業後ではあったが、ボストン交響楽団来日ということで、本番前のリハーサルであれば入ってもよいと許可を取ってくれた。言うまでもないが、小澤率いるボストン交響楽団はとてつもなく上手かった。
特に京都会館の時は、その休憩時間にマエストロの楽屋にも招待してくれて、直接お話しすることができた。すると、本番の客席はもちろん満席だったが、舞台袖であれば本番を聴いて帰ればいいと、特別な計らいまでしていただいた。
その時のメイン曲はマーラーの交響曲第2番。マーラー好きならよくご存じの通り、トランペット等がバンダとして舞台袖で演奏する箇所がある。
実は、そのトランペッターがまさしく、僕の目の前、1mくらいのところでスタンバイしているではないか。
スタッフの方々も非常に親切で、むしろ間近でよく聴いておけといった雰囲気であった。
あのボストン交響楽団のトランペット奏者の、しかも本番でのマーラーのソロを、超至近距離で聴くことができた。本当に感動し、すばらしい演奏であった。こうした体験を、ちょうど本格的に楽器に取り組んでいた時期に聴くことができたのは、貴重な一生忘れられない経験であった。
マエストロに、改めて本当に心から感謝したい。
プロの音楽家たちの数々の追悼メッセージを見ると、マエストロは、数多くの一流の演奏家たちの憧れの存在であり、長年に渡り尊敬され続け、若い世代まで幅広く慕われていたことがよく分かる。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。