東京の今年の節分の日は、例年よりも暖かかった。しかし、僕の幼い頃の節分のイメージとしては、本当に底冷えする「みぞれ交じりな天気」の京都市内である。ただ、楽しみな日でもあった。親に頼まれていた古いお守りやお札を持って吉田神社行き、大きな火柱が立って炊き上げている火炉の中に放り込む。そして、それが終わると、京大正門からずっと山道に続く参道に、たくさんの出店がひしめいており、それを一店一店覗き込みながら、何を買うか真剣に考えていた。そして、たくさんの同級生や友達ともすれ違いながら、甘いものや温かいものを買い食いしていた。
家に帰ると、母親が恵方巻きと鰯を用意していた。夕食が近づくと、いよいよ鰯を焼きだし、臭い匂いが家中に立ち込めた。これは、「塩鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らない」という言い伝えがあるとのこと。それが終わると、恵方を向いて無言で恵方巻きを食べた。
まだ、妹も生まれておらず、父親の帰りもまだ遅かったので、これを母親と二人でやっていたことを思い出される。
そして、夕食が終わったら豆まき。夜はさらに冷えるので、日頃極力窓は開けたくないのだが、豆まきの時は楽しみしていたので、全く苦にならなかった。
あの頃を振り返ってみると、当時の光景は、深々と冷える静かな夜であったような気がする。
学生となり、関東に出てみると、恵方巻きは売っておらず、ましてや臭いが気になる鰯を焼く習慣などは、同級生で知っている人はほとんどなかった。
それが今や、コンビニ・スーパーでは必ず恵方巻きの宣伝がされ、デパ地下では超高級ですごい値段の恵方巻きも登場している。ある意味、ハロウィーンなどと同様のイベントものになってしまっているのが、昔の静かな京都の夜を思い出すと、不思議な気がする。
ただ、思っていた以上に、東京近郊でも節分祭をやっている寺社もあり、やはり日本中どこに行っても、同じように伝統が受け継がれているのだなと再認識することもある。
苦手な冬も、この時期を乗り越えると、少しずつ春を意識できるようになってくる。何とか風邪を引かずに、花粉症にも負けず、この冬も乗り切っていきたい。