「南極観測船しらせ」は、皆さんもご存じだと思う。そして、南極観測隊と言えば「南極物語」の樺太犬タロ・ジロを思い浮かべる方も多いのではないだろうか。
第61次南極観測隊が、先月、南極に向けて出発し、いよいよ南極大陸に到着するところとのこと。このメンバーの中に、僕の大学時代の同級生の小嶋秀治君が、医師として帯同している。
順天堂大学は、大学1年生は医学部と体育学部(スポーツ健康学部)全員が、啓心寮という全寮制に入寮する。その時の隣の部屋員で、その頃からの仲だ。ただ、その当時、僕は医学部1年生、彼はスポーツ健康学部1年生だった。
啓心寮は8人1部屋になっていて、2段ベッドが4つあり、シャワー・トイレ・冷蔵庫・キッチン・電話が8人で共用だった。当時は、携帯電話もポケベルもまだ全然無い時代だったので、お互い、プライベートなことなどは守られるような環境には全くなかった。このため、みんなが良くも悪くもお互いのプライベートや性格はよく知ったもの同士だった。
その中で、小嶋(昔から「こじま」と呼び捨てにしている)は、スポーツトレーナーを目指そうとしていた。ただ、だんだん勉強するに従って、スポーツトレーナーよりも実際に整形外科医として活動した方がよいのではないかと考えはじめ、いつからか僕に「医者になりたい」と相談するようになっていた。ただ、もちろん当時の彼は医学部向けの勉強はまったくして来なかったので、数学や理科の教科について、高校時代に全く履修してこなかった範囲もたくさんあった。
僕自身、高校卒業時の偏差値が40前後で、その後に地獄のような浪人生活を3年過ごしていた。啓心寮で生活しているうちに、そういった話しもする機会はちょこちょこあったので、僕に相談してきたのだと思う。
その時、僕は彼に「とにかく、大学を卒業しろ」とアドバイスした。卒業した時でも、やはり「医師になりたい」という思いが変わらないのであれば、僕が高校卒業後に通っていた京都・上賀茂神社近くにある小さな予備校を紹介してあげるからと、話しをしていた。
すると彼は、大学4年生の時に、僕のところに訪ねて来て、「やはり医師になりたい」と話しをした。その時の覚悟を決めた表情に、本気だなという気持ちを察した。このため、僕がお世話になった予備校の先生に連絡を取り、彼の予備校生活が始まった。
昔の思い出話しを書いていたら、南極のところまで話しが全然行かなくなってしまった。この続きは、次回としたい。
ちなみに、下記のURLを見てもらうと、現在、小嶋先生も含めて、第61次南極観測隊がどの様に活躍しているかが、インターネット上で紹介されている。是非、ご覧になってください。
種子島の医師が南極へ
https://www.asahi.com/articles/ASMDN3PZLMDNTLTB006.html?iref=pc_ss_date
地方紙と共同通信のよんななニュース 南極
https://www.47news.jp/search?phrase=%E5%8D%97%E6%A5%B5