今月13日、新聞のスポーツ欄を観ていたところ、セ・パ両リーグの優勝の記事が大々的に報道されている面の下の方にひっそりと「高岡寿成氏、日本陸連中長距離・マラソン担当シニアディレクター就任」といった記事を見つけた。このポジションは、今回新設されたとのこと。
「とうとうそうなったか」というのが、僕の感想であった。
実は、彼は高校時代の同級生だ。高校時代、長距離チームのエースでは決してなかった。ただ、一際背が高くひょろっとしていて、ちょっと高めの声で話しているのが印象的だった。
僕は毎日、グランドの隅で立ってチューバを抱えて、ひたすら何時間もロングトーンしていた。その目の前を、これまたひたすら何周も陸上のトラックを走り続けている彼の姿を思い出す。
このように、男子校で、毎日いやほど顔を合わせてはいたが、ほとんど会話したことは無かった。それが一学年750人もいる男子校では、別に何も珍しいことではなかった。
彼が選手として注目され始めたのは、高校3年生の時の京都市内で毎年、年末に開催されている全国高校駅伝であったのではないだろうか。
その日、銀閣寺道の私設図書館で勉強していたのだが、今出川通も駅伝コース(第3・4区)であったため、選手が走ってくるのが近づいてくると、否が応でも周辺がざわつき始めた。
自分の高校も出場しているので、それにつられるようにして沿道で僕も応援しに向かった。
とは言え、誰がその区間を走ってくるかもよく知らなかった。
しばらく待っていると、先頭か2番手だったと思うのだが高岡選手が長身を活かした走りで、目の前を通り過ぎた。
結局、残念ながら悲願の初優勝とはならず、またしても西脇工業高校に負けて、全国2位であった。
しかし、翌日の新聞を見てみると、高岡選手は区間賞だった。それを見て、彼も全国レベルの選手になったんだと思ったのを覚えている。
後日、彼と同じクラスのブラバンの同級生に、彼の進学先を聞いたところ、龍谷大学とのこと。
全国の駅伝で区間賞を取っても、箱根駅伝の強豪校に推薦入学していくほどは期待されていないのかなと、厳しい世界だなと思った。
それから何年かした後、カネボウで大活躍しているとのこと。
5000m、1万mで日本記録を打ち出し、オリンピックにも出場。種目がマイナーなだけに、残念ながらそれほど話題にならなかったが、シドニーオリンピックで日本人としては待望の7位入賞まで果たした。
今年、3000m障害という、これもマイナーな種目で、洛南出身の三浦君が7位入賞をしたが、東京オリンピックというインパクトもあったとは思うし、彼は順天堂大学生で、箱根駅伝にも出ていたので、注目度が高く、すでにかなり全国的に有名人となっている。
高岡選手は、その注目度が低いこともあっただろうと推察されるが、その後マラソンへ種目変更。またまた日本記録を樹立。これは1億円をもらった設楽悠太選手(ホンダ)が塗り替えるまで、15年以上破られない日本記録となった。
ところが残念ながら、タイミングが悪く、全盛期を過ぎてしまっており、日本記録のタイトルホルダーでありながら、次のオリンピック代表選考会では結果が出せず、結局マラソンではオリンピック代表にはなれなかった。
しかしながら今でも、年間何度かテレビ放映されている日本代表レベルの選手達が走るマラソン大会では、たびたび解説者としてゲスト出演している。そのちょっと特徴のある声を聞くと、相変わらず活躍しているなと、その都度感じていた。
箱根駅伝で名が選手に比べると、彼らよりも素晴らしい記録を残しながら、なかなか日の目を浴びることが難しかった彼だからこそ、知名度だけに囚われず、真に素晴らしい選手を発揮し、オリンピック等の日本代表として大活躍してくれるような選手を、何人も発掘・育成してくれることに大いに期待したい。